零
做这个感觉就是我单纯中二病犯了,暑假作业还没写完呢,就来整这个。不过作业毕竟也写不下去,写代码吧也是写不下去,感觉最近几天实在是太颓了。害~
永真 - 出场
忍びよ、目覚めて下さい。貴方の、主の為に。
弦一郎 - 芦苇原
久しな、御子よ。(おじゅうん?)の(ぼうぜん?)以来か。
久しいな、御子よ。叔父上(おじじょう)の墓前(ぼぜん)以来か。
久し
作为形容词少了个 い
,此处应为 久しいな
,无论是从长音还是语法上原来听的都不算对…
另外有两个生词,叔父上(おじじょう)
和墓前(ぼぜん)
弦一郎旦那。あたしはっ。済まぬ。
弦一郎殿。あたしは。済まぬ。
旦那(だんな)
与 殿(どの)
均有表示XX大人的意思,此处应用 殿(どの)
御任せよ。
御任せを。
这里在语法上确实有些区别,不过在句意的理解上没啥影响。
邪魔だってするか、御子のしのびよ。
邪魔立てするか、御子のしのびよ。
んっなれ、😵
お、のれ、😵
ん?🤨
は!😏
忍びよ、(ヒキ?)事は(ユウマイ?)な。御子は貰って行くぞ。
忍びよ、卑怯(ひきょう)とは言うまいな。御子は貰って行くぞ。
弦一郎 - 天守阁
御爺様の(ごうゆうす?)はどうだ。
御祖父様のご様子(ようす)はどうだ。
日语里同音词这个设定真的离谱。
一心様は、命を保って(ウラレル?)のは、不思議の事です。
一心様は、命を保っておられるのは、不思議のほどです。
おられる
是 居る(おる)
的敬语形式
そうか。
御子よ、もう一度と言う。不死の契りを俺と(もすぶ?)
御子よ、もう一度言う。不死の契りを、俺と結べ(むすべ)
結べ
是 むすぶ
的命令形
出来ませんぬ、弦一郎旦那。
出来ませんぬ、弦一郎殿。
不说了,同上。
(たとえひとたび?)敗れるのも、命を落とし、主に必ず取り戻し、其れが、我が忍びなれば。
たとえ一度、敗れる(やぶれる)とも、命を賭し(とし)、主に必ず取り戻す、それが、我が忍びなれば。
仮令(たとえ)...とも/ても
表示纵使、即使。
お迎えに参上しました。今暫く、御待ち下さい。
お迎えに参上いたしました。今、暫く、お待ち下さい。
なるほどな。貴様を殺し(きらぬかぎる?)、龍胤を我が手に出来ぬよ。
なるほどな。貴様を殺し切らぬ限り、龍胤を、我が手にはできぬような。
見事な、忍びよ。
見事な、御子の忍びよ。
惜しいな、主を換える積りは無いか。
(ざれ?)事。
戯言(ざれごと)を。
(ざれ?)事だと?俺は、此の葦名を守る為なれば、どうの(???)力で有れ、(したかえち?)見せる。(ともえ?)の雷、見せてやろ。
戯言だと?俺は、此の葦名を守る為なれば、どうの異端の力で有れ、縦えて見せる。巴(ともえ)の雷、見せてやろ。
这里弦一郎说 異端
的时候声音实在太小了,听不清。不过就这个单词本身而言我还算挺熟的,甚至还记得第一次是在哪儿见到的。如果没记错的话,应该是在看《进击的巨人》里面前几话的时候,里面阿尔敏在被几个小混混揍的时候被称为 異端者
,所以我当时就顺手查了下词典记下了。
葦名は、此の国は、俺の全てだ。其の為なら、俺は、人間を止めよ。
葦名は、此の国は、俺の全てだ。其の為なら、俺は、人間を止めよう。
我不做人了,JoJo!
这段话着实印象深刻,甚至可以说我就是冲着这段来的🤣️
(しびりと?)帰りか?
死人(しびと)帰りか?
さあ。
さらば。
弦一郎、一心 - 芦苇原
九郎様。
久しいな、御子の忍び。見よ、不死斬りの(もうひとふり?)よ。
久しいな、御子の忍び。見よ、不死斬りのもう一振りよ。
一振り
在这里可以认为是量词,例如 Moji 辞書 上有一个例句:ひと振りの太刀(たち)
,意为 一把大刀
弦一郎旦那、其の用の物では、(けんしで?)葦名の運命は、変わりませぬ。狼よ、龍胤等、誰の手に有るべきではないのだ。九郎を(かける?)な。
弦一郎殿、其のような物では、決して(けっして)葦名の運命は、変わりませぬ。狼よ、竜胤等、誰の手にも、有るべきではないのだ。苦労をかけるな。
把 苦労
听成 九郎
可太草了,不过毕竟只狼整天九郎九郎得叫,听错也不能全怪我嘛(
其实当初听的时候就感觉很奇怪:把 九郎
给 かける
了是几个意思,应该是我听错了不是 かける
吧?没想到这里没听错,错的反而是前面。
(ぎょうい?)。前る(まえる)。
御意(ぎょい)。参る(まいる)。
还是为 前る
是名词活用做动词…结果发现原来是我自己生造的。
嗚呼、(しまいとしゅう?)。
嗚呼、終いとしよう。
俺は、(きっきょく?)何も出来なかった。だっが、龍胤が、此の国を生かす。此れで葦名の夕(ゆう)は、開ける。ほんっ。
俺は、結局(けっきょく)、何も出来なかった。だが、竜胤が、此の国を生かす。此れで葦名の夜(よ)は、明ける。
划开/开启苇名的的日暮/夕阳
v.s. 苇名的黑夜即将破晓
. 好像都能解释得过去(
“结果我到头来,还是什么都没有做到”,划重点,感觉这句话放在这里对弦一郎的人物刻画真的是太适合了,尤其是那种体现出的无力与不甘。不过感觉其实我也和弦一郎差不多,终究是,“结果我到头来,还是什么都没有做到”😮💨️。
哀れな(まも?)の、最後願えじゃ。わしは此の葦名を、(ゆみがえなせんねばなら?)、(ゆえに?)、隻狼、(おまし?)を斬るぞ。
憐れな孫(まご)の、最後の願い(ねがい)じゃ。儂は此の葦名を、黄泉帰らせぬばならぬ、ゆえに隻狼、お主を斬るぞ。
黄泉
一词太生僻了,怨不得我呀😭
在 “憐れな孫(まご)の、最後の願い(ねがい)じゃ” 这句话的中文翻译中,憐れな孫
被翻译为 可怜孙儿
,这种带有陌生而又熟悉的感觉的称谓,确实莫名地使我同情起了弦一郎。
这是我可怜孙儿的,最后的愿望啊。
かあ。やれ。(みごこ?)じゃ、隻狼。
かあ。やれ。見事じゃ、隻狼。
さらば。